駅のホームで車椅子ユーザーに声をかけたとき、あなたは「助けてあげる」と考えていませんか?職場の発達障害のある同僚に「配慮してあげている」と感じたことはありませんか?
実は、この「〜してあげる」という何気ない言葉の裏側に、私たちの障がい者支援の限界が隠れているのかもしれません。
私は36歳で、障がい者メディア「ダイバーシティボイス」の編集長をしている中村陽子です。大学院在学中に自分自身がADHDの診断を受け、当事者となった経験から、従来の「支援する側/される側」という関係性に違和感を持つようになりました。
この記事では、「助けてあげる」一方通行の関係から「共に創る」双方向の関係へと視点を転換することで見えてくる、新しい障がい者支援の可能性をお伝えします。
従来の障がい者支援の限界と課題
「ありがとう」と言わなければならない重圧。「迷惑をかけている」という罪悪感。支援を受ける側の私たちが、しばしば抱える見えない負担です。
従来の障がい者支援は、善意に満ちていながらも、様々な課題を抱えています。
「支援する側/される側」の二項対立構造が生む問題点
先日、ある車椅子ユーザーの友人がこんな経験を語ってくれました。
「駅で見知らぬ人に突然車椅子を押されて、怖い思いをしたことが何度もあります。声をかけてくれれば『今日は大丈夫です』と伝えられるのに。でも断ると『せっかく手伝おうとしたのに』という顔をされることも…」
この話からわかるのは、「支援する側」と「支援される側」という固定的な役割分担が、実は双方にとって苦しい関係性を生み出しているということです。
支援する側は「良いことをしている」という自己満足に陥りやすく、支援される側は「感謝しなければならない」というプレッシャーを感じがちです。
私自身、ADHDの特性から会議中に集中力が途切れると、同僚が「大丈夫?メモ取っておいたよ」と声をかけてくれることがあります。ありがたい一方で、「また迷惑をかけた」という負い目も感じてしまうのです。
見えない障がいへの理解不足と支援格差
「足が不自由なわけでもないのに、なぜ電車の優先席に座るの?」 「見た目は普通なのに、なぜ特別扱いが必要なの?」
こうした言葉に傷ついた経験を持つ「見えない障がい」の当事者は少なくありません。
日本の障がい者支援制度は、主に身体障害を中心に設計されてきました。しかし、発達障害や精神障害、内部障害など、外見からは判断できない障がいへの理解と支援は十分とは言えません。
特に発達障害は「わがまま」「努力不足」と誤解されやすく、必要な支援にアクセスできない当事者が多いのが現状です。
「ADHDを診断された日、号泣しました。それまで『なぜ皆と同じようにできないのか』と自分を責め続けていたから。診断名がついて初めて、適切な支援を受けられるようになったんです」(30代・女性)
支援の前提となる「理解」そのものが不足している現状は、多くの当事者を孤立させています。
若年層の障がい者が直面するキャリア形成の壁
「障がい者枠で入社したけど、単純作業ばかりで成長できない」 「特性を活かせる仕事をしたいのに、選択肢が限られている」
こうした声は、若い障がい者から頻繁に聞かれます。
従来の障がい者雇用は「とにかく働ける場所を提供する」ことに主眼が置かれ、キャリア形成や成長機会の提供には十分な注意が払われてきませんでした。
特に20〜30代の若年層障がい者にとって、自分の強みを活かした仕事に就き、スキルを磨いていくことは、経済的自立だけでなく自己実現の観点からも極めて重要です。
しかし現実には「障がい者だから」という理由で、チャレンジングな仕事の機会を与えられないケースが少なくありません。
当事者の声から見えてくる新しい支援のかたち
では、当事者は本当はどのような支援を求めているのでしょうか?私は「ダイバーシティボイス」の取材活動を通じて、様々な障がいのある方々に話を聞いてきました。
インタビュー:多様な障がい者の「支援」についての本音
「最も嫌なのは、自分のことを勝手に決められること。『あなたはこれができないから』と決めつけられると、可能性を奪われた気分になります」(視覚障がい・28歳・男性)
「私が欲しいのは『特別な配慮』ではなく『当たり前の選択肢』。健常者が選べることを、私も選べるようになればいいんです」(車椅子ユーザー・42歳・女性)
「支援者に望むのは『答えを教えてくれること』ではなく『一緒に考えてくれること』。私の人生の主人公は私自身であってほしい」(自閉症スペクトラム・33歳・男性)
これらの声に共通するのは、「助けられる対象」ではなく「対等なパートナー」として尊重してほしいという願いです。
「助けられる」ことの心理的負担と自己肯定感の関係
常に「助けられる側」に立たされることで、当事者の自己肯定感は徐々に侵食されていきます。
「困ったときだけ『障がい者』として扱われるのが苦しい。困っていないとき、力を発揮できるときも見てほしい」
これは私自身の実感でもあります。ADHDの特性から締め切り直前に集中力が高まる私は、編集者時代、同僚から「また無理してるの?」と心配される一方で、短期間での質の高い成果物を提出すると「すごいね」と驚かれる経験を繰り返しました。
「障がい」という言葉が前面に出るとき、私たちの「できること」は見えにくくなってしまいます。そして「できないこと」ばかりに注目されると、自分自身の価値を見失いがちになるのです。
SNSとデジタルツールが変えつつある当事者コミュニティの景色
「ADHDでも大丈夫、オンライン会議なら自分のペースで参加できる」 「字幕付き動画のおかげで、聴覚障がいがあっても情報にアクセスできるようになった」
コロナ禍を経て、オンラインコミュニケーションが一般化したことで、これまで参加が難しかった場に参加できるようになった当事者も少なくありません。
特にSNSでは、当事者同士が情報を交換したり、社会に対して直接声を上げたりする動きが活発化しています。ハッシュタグ「#見えない障がい」「#発達障害でも働けます」などのムーブメントは、当事者自身が社会に働きかける新しい形といえるでしょう。
「Twitterで自分と同じ特性を持つ人たちと出会えて、初めて『一人じゃない』と感じられました。それまでは医師や支援者からの一方的な説明だけだったけど、当事者の生の声を知ることで、自分の状態を受け入れられるようになりました」(25歳・女性・精神障がい)
テクノロジーの発展は、従来の「支援する側/される側」という固定的な関係性を超えた、当事者主体の新しいつながりを生み出しています。
テクノロジーの発展は、従来の「支援する側/される側」という固定的な関係性を超えた、当事者主体の新しいつながりを生み出しています。
こうした流れは、地域に根ざした支援団体でも見られます。例えば、あん福祉会のような障がい者支援団体では、従来の福祉サービスの枠を超えた取り組みが注目されています。当事者のニーズを中心に据えた支援のあり方が、少しずつ広がりつつあるのです。
「共に創る」支援モデルの実践例
理想論ではなく、すでに「共に創る」関係性を実践している現場があります。私自身が関わった事例も含めてご紹介します。
アトリエ・ハーモニーに見る創造性を軸にした新しい関係性
私が以前広報担当として働いていた「アトリエ・ハーモニー」は、障がいのあるアーティストと健常者のアートディレクターが協働するクリエイティブ集団です。
ここでは、障がいのある方々を「支援の対象」ではなく「創造的パートナー」と位置づけています。例えば、自閉症のある山田さん(仮名)の独特な色彩感覚と繊細なタッチは、商業デザインの現場でも高く評価されています。
「最初は『障がい者の作品』という文脈で見られることに違和感がありました。でも今は『山田さんの作品が欲しい』と指名で依頼が来るようになり、自分の表現が認められていると実感できます」と山田さんは話します。
アトリエでは「支援者」と呼ばれるスタッフも、単なるケアの提供者ではなく、アーティストの表現を最大限に引き出すファシリテーターとしての役割を担っています。
「障がいのある方の創造性に触れることで、私たち自身の視野が広がり、学ぶことも多い。一方的な支援関係ではなく、互いに影響し合う関係性が生まれています」(アトリエスタッフ)
テクノロジーを活用した障がい者主導のプロジェクト事例
「Disability Tech Lab」は、障がいのある当事者自身がテクノロジーを活用して社会課題を解決するプロジェクトです。
一例として、全盲のエンジニア、佐藤さん(仮名)は、視覚障がい者向けの音声ガイドアプリを開発しました。このプロジェクトの特徴は、開発チームのリーダーである佐藤さんが「支援される側」ではなく「問題解決の主体」として関わっていることです。
「使いやすいものを作るには、当事者の経験を設計の中心に置く必要があります。健常者だけで考えた『支援ツール』は、現場のニーズとずれていることが多い」と佐藤さんは指摘します。
このプロジェクトでは、視覚障がいのあるメンバーが中心となって企画・設計し、プログラミングスキルを持つ健常者メンバーがその実装をサポートするという協働体制が取られています。
「共に創る」とは、それぞれの強みを活かしながら、対等な立場で協力することなのです。
失敗から学んだこと:理想と現実のギャップを埋める試行錯誤
もちろん、理想的な「共創」への道のりは平坦ではありません。私たちも多くの失敗を経験してきました。
ある自治体との協働プロジェクトでは、「障がい者の声を中心に」という理念を掲げながらも、実際には会議の進行方法や意思決定プロセスが従来のやり方のままで、当事者が意見を言いづらい状況が生じていました。
「会議室が感覚過敏の人には刺激が強すぎた」「資料が事前に共有されず、読み上げソフトを使用している視覚障がい者が内容を把握できなかった」など、配慮の不足で実質的な参加が難しいケースもありました。
こうした失敗から私たちが学んだのは、「共に創る」関係性を築くためには、「参加のデザイン」自体を当事者と一緒に考える必要があるということです。
「形式的な参加」ではなく、実質的に力を発揮できる環境づくりが、真の意味での「共創」には不可欠なのです。
職場と教育現場における「共創型支援」の可能性
「共に創る」という視点は、職場や学校といった日常の場でどのように活かせるのでしょうか。
インクルーシブデザインがもたらす全員にとっての働きやすさ
「障がい者のための配慮」と考えられがちなインクルーシブデザインですが、実はすべての人にとって働きやすい環境を生み出します。
例えば、ある IT 企業では、聴覚障がいのある社員の要望をきっかけに、すべての会議で議事録をリアルタイムで共有する仕組みを導入しました。
すると、聴覚障がいのない社員からも「後から内容を確認できて便利」「英語が母語でない社員も理解しやすくなった」という声が上がり、全社的な生産性向上につながったのです。
また、ADHD の特性がある私自身の経験から言えば、「締め切りを細かく区切る」「タスクの優先順位を視覚化する」といった工夫は、多くの人にとって仕事の質を高める効果があります。
「特別な配慮」ではなく「多様な働き方のオプション」として環境を整えることで、障がいの有無にかかわらず、誰もが自分らしく力を発揮できる職場づくりが可能になるのです。
障がい特性を「強み」に変換するキャリア支援の新アプローチ
「発達障害の特性は、環境次第で『障がい』にも『才能』にもなり得る」
これは私が常々感じていることです。私自身、ADHDの特性から生じる「興味の偏り」は、一つのテーマを徹底的に掘り下げる原動力となり、ライターとしての専門性につながりました。
先進的な企業では、障がい特性を強みとして活かすキャリア支援が始まっています。
あるテック企業では、自閉症スペクトラムの特性を持つエンジニアの「細部への強いこだわり」を品質管理部門で活かし、他のスタッフが見落としがちなバグの発見率を大幅に向上させました。
また、接客業においても、聴覚障がいのあるスタッフが「視覚情報への敏感さ」を活かして顧客の表情や動きから要望を素早く察知し、高い評価を得ている例もあります。
重要なのは、「できないこと」を補うという発想から、「得意なこと」を伸ばす発想へと転換することです。そして、それを実現するには当事者自身が自分の特性を理解し、それを「言語化」できることが不可欠です。
若者向け福祉教育:多様性を前提とした新しい学びの場づくり
「障がい理解教育」というと、車椅子体験や目隠し歩行などの「疑似体験」が一般的でした。しかし、こうした活動は往々にして「大変さ」だけを強調し、「障がい者=助けが必要な人」というステレオタイプを強化しかねません。
新しい福祉教育として注目したいのは、障がいのある当事者が講師となり、自らの経験や視点を語る「当事者参加型」の授業です。
私も高校生向けの特別授業で、ADHDとの向き合い方や、それを活かした仕事の進め方について話すことがあります。生徒からは「障がいがあっても自分らしく生きる選択肢があると知って安心した」という感想が寄せられます。
特に印象的だったのは、ある授業後に「実は自分も発達障害かもしれないと悩んでいました」と打ち明けてくれた女子生徒の存在です。彼女は「先生のように自分の特性を『個性』として前向きに捉えられるようになりたい」と話してくれました。
多様性を前提とした教育は、マイノリティの子どもたちに「自分は間違っていない」という自己肯定感を育み、マジョリティの子どもたちには「違い」を尊重する姿勢を養います。
未来に向けた「共に創る」支援社会への提案
では、私たち一人ひとりに何ができるのでしょうか。制度や社会の仕組みから、日常的な関わりまで、いくつかの提案をしたいと思います。
制度設計における当事者参画の重要性と具体的方法
「私たち抜きに、私たちのことを決めないで(Nothing About Us Without Us)」
これは国際的な障がい者運動のスローガンですが、日本の福祉政策においては、残念ながら当事者不在の議論が少なくありません。
有効な支援制度を設計するためには、計画段階から当事者の声を取り入れることが不可欠です。
具体的には以下のような取り組みが考えられます。
- 政策決定の場への当事者の参画(単なる「代表者」ではなく、多様な障がい種別や年齢層を含む複数の当事者)
- オンライン参加や時間短縮など、多様な参加方法の保障
- 専門用語を平易な言葉に置き換えるなど、情報アクセシビリティの確保
- 当事者団体による政策評価と改善提案の仕組み化
「形式的な参加」ではなく「実質的な影響力」を持てる参画のあり方を模索することが、真の意味での「共創」につながるでしょう。
支援する側/される側の境界を溶かす対話の場の創出
私が「ダイバーシティボイス」で大切にしているのは、障がいの有無を超えた対等な対話の場づくりです。
例えば、毎月開催している「みんなの声カフェ」は、障がい当事者、支援者、研究者、一般市民など多様な立場の人々が集まり、テーマごとに語り合う場です。ここでは「専門家」も「当事者」も対等な「参加者」として意見を交わします。
この対話の中で興味深いのは、「障がいのある人」と「ない人」の境界があいまいになっていくプロセスです。実際、参加者の多くが「誰もが何らかの困難や生きづらさを抱えている」という共通認識を持つようになります。
「支援する側/される側」という二項対立を超えた「互いに支え合う関係性」への転換は、こうした小さな対話の積み重ねから始まるのかもしれません。
「あなたにできること」:読者一人ひとりができる小さな行動
最後に、読者のあなたにできる具体的なアクションをいくつか提案します。
- 障がいのある人に何か手伝おうと思ったとき、まず「何かお手伝いできることはありますか?」と尋ねる習慣をつける
- SNSなどで障がい当事者の発信に耳を傾け、「いいね」や共有で応援する
- 自分の職場や学校で、多様な人が参加しやすい環境について提案してみる
- 「〜してあげる」という表現を意識的に「一緒に〜する」に言い換えてみる
- 当事者主導のイベントやプロジェクトに参加してみる
一つひとつは小さな行動でも、それが積み重なれば社会は確実に変わります。
そして何より大切なのは、「障がい」を自分とは無関係の問題と考えるのではなく、「誰もが自分らしく生きられる社会」という共通のゴールに向けた課題として捉え直すことではないでしょうか。
まとめ
冒頭で触れた「助けてあげる」という言葉。その対極にあるのは、「共に創る」という関係性です。
支援の本質は、一方的に助けることではなく、それぞれの強みを活かし合いながら新しい何かを生み出していくプロセスにあります。それは障がいのある人だけでなく、関わるすべての人が成長し、豊かになる可能性を秘めています。
当事者の声と経験を中心に据えた新しい支援のかたちは、すでに様々な現場で芽吹きはじめています。技術の発展や意識の変化が、これまで見えなかった可能性を開きつつあるのです。
明日から、あなたもこの「共創」の一歩を踏み出してみませんか?それは特別なことではなく、周りの人と「対等に」関わろうとする小さな意識の変化から始まります。
そして、もし読者の中に障がいのある当事者がいらっしゃるなら、ぜひ自分の経験や思いを発信してください。あなたの声が、誰かの認識を変え、新しい関係性を生み出す種になるかもしれません。
「助けてあげる」から「共に創る」へ。この視点の転換が、私たち一人ひとりの中から始まることを願っています。